深く傷つくことを言われても、信じていたことが嘘であっても、その相手を許せるでしょうか。
どうしても許せないなら、相手との関係を絶ってもいいのだと思います。
無理に我慢することはない。
許さずにいるか、許すと決めるか、気持ちが楽な方を選んでいいのでしょう。
気持ちが楽になるなら、思い切って許すと決めるといいのかもしれません。
また違った見方ができるからです。
例えば、
「相手はなんであんなことを言ったのだろう。こっちが悪かったかな。そういえば…」
「あの時は頭にきたけど、相手とはこんないいこともあったよな。あらためて相手のよさを思い出した」
というように。
だから、許すことは、相手をどうこうすることではない。
自分を見つめ、間違いを正し、成長するための学びなんだと、いま考えています。
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