先日、小1から小6まで同じクラスだった4人の飲み会を48歳にして企画していること書きました。
同郷の長野県で育ち現在関東にいる、憧れていた優等生女子、まぶしかった軽音女子、印象薄い男子と私の4人の集まりです。
この会を、先月15日に決行しました。
当日はまず1軒目の居酒屋にて3時間飲み放題のコースからスタート。
これだけでは話し足りず、2軒目も居酒屋に4人でハシゴし計5時間、話しっぱなし飲みっぱなしの楽しい宴会となりました。
なぜこんなに長時間も話が尽きず、楽しく飲めたのか。
ここ数日はまっているブッダの教えに、ヒントを見つけました。
『ブッダのことば-スッタニパータ (岩波文庫)』(中村元)にこうあります。
今のひとびとは自分の利益のために交わりを結び、また他人に奉仕する。今日、利益をめざさない友は、得がたい。
(第一 蛇の章 三、犀の角 七五)
『苦しまない練習 (小学館文庫)』にある小池龍之介さんの訳はこうです。
今の世の中では、打算なき真の友だちは、めったに見つからない。
このことばを読んで今振り返ると、子どものころからよく知っている間柄で、今のそれぞれの生活に直接の利害関係がなく、お互いがお互いを応援できるような、これまであまり経験のない集まりだったことに気づきます。
仕事関係の飲み会は、上司であれ、同僚であれ、部下であれ、取引先であれ、直接何らかの利害のある関係なので、必然的に言えること言えないことが出てきます。
大学時代の友人との飲み会となると、今の仕事や年収や暮らしの違いを意識してしまうところが私にはどうしてもあります。
今回は小学校時代の同級生でみな地元を離れて暮らしているので、お互いに言いたいことを言いっぱなし、聞きっぱなしで、同じ時代に生きる同い年の同志として素直に応援できる、という感じです。
だから私も自然と実家の悩みのことを話せましたし、他のメンバーからも同じような悩みや離婚の経験などプライベートな話が出てきたように思います。
もし今も同じ地元に住んでいる者同士だったら、ここまでいろいろ話せなかったかもしれません。
ブッダの生きた2500年も前の時代から、人間関係の悩みや喜びは何も変わっていないようです。
さて、企画のきっかけとなった、「息子の小学校のクラスでは先生の言うことを聞かない子が何人かいてクラスがまとまらないらしい、われわれの世代が小学生だったときは先生は絶対でみんな言うことを聞いていた」という疑問について、みんなに聞きました。
当時は頭や頬を叩くくらいの体罰は問題にならなかったね、特に5~6年の担任の先生は影響が強かったね(印象薄い男子のことばでは洗脳というくらい)、でもこの先生も私たちが卒業後に受け持ったクラスではいろいろと苦労したらしい、などいろいろ思い出話が出てきました。
結論はよくわからず、これ以上の深い話にはなりませんでした。
昔はよくて今がダメという単純な話ではなく、担任と児童と親の相性など、いろいろな巡り合わせがあるのでしょう。息子の小学校についても、もっと視野を広げて考えてみることにします。
話が盛り上がらなかったらどうしようかと用意していた質問カードは、軽音女子の「一番好きだった先生は?」という一言に、実はこんなカードを作っておいたと登場です。軽音女子には「どうせ好きだった人とかあるんでしょー」と言われましたが、その通りですいません。
このカードのおかげで、実は印象薄い男子も私と同じく優等生女子に憧れていたことを告白し、思わぬ盛り上がりに一役買いました。
※実際使ったカード
・6年間で一番思い出に残っていること
・6年間で一番楽しかったこと
・小学校6年間で今の自分に大きく影響していること
・6年間で一番辛かった(イヤだった)こと
・一番好きだった先生は?
・今の自分に大きく影響していること
・今一番ハマっていること
・今一番聞いてほしい悩み
・小学校に入って初めて好きになった人
・小学校卒業のときに好きだった人
頻繁に会う仲間ではありませんが、不純な煩悩にとらわれず、大切にしたい縁です。
以上、小学校時代のクラス会をして、利益をめざさない友のありがたさを知った、という話題でした。