昨日息子の小学校で公開授業があり、行ってきた奥様に話を聞いて、いろいろと驚きました。
5年生の38人のクラスで、授業中に落ち着いて座っていられない子どもが5人もいるとのこと…。
状況
算数の授業中。
指されていないのに席を立って教室内をフラフラしている子が3人。
イスを前後にガタガタさせたりしてちゃんと座っていられない子が2人。
この5人は、机の上には教科書、ノート、鉛筆2本、消しゴム1個だけというルールを守れず、まわりの床に鉛筆、ノート、ティッシュ、ゴミ、笛などが落ちている。
ある子は先生にタメ口で「あー」「やってるしー」。
ある子は立ち上がって上半身の服を脱いでしまう。
まじめに授業を聞いている子はこの子らをスルー。
この子ら以外にも半分の子は、授業の内容をわかっていないだろう。
先生は普段よく怒るそうだが、昨日は親にありのままを見せるためか怒らず。
昔の価値観と今の価値観
奥様とは、われわれが小学生だった約40年前はこんなことはなく、少なくとも全員がイスに座って授業を聞いていたよね、と話しました。
先生は絶対の存在で、タメ口なんてとても考えられません。
しかし、この価値観を絶対の善としていいかは、自信がありません。
この価値観に今も盲目的に縛られ、会社や組織を絶対の存在として苦しんでいる人もいるように思うからです。
自由にしてしまっている子たちの何人かは将来、組織に縛られずに活躍できるようになるのかもしれません。
沖縄の不登校の小学生YouTuberのように。
唯一正しいと思うのは、きちんと授業を受けたい子や先生に迷惑をかけてはいけないよね、ということです。
中学が心配
5年生になる前に一度、息子が中学受験をするか考えました。
結論は中学受験はせず。
今も変わりません。
受験して入るだけの意味があるような中学は、私の家からはバスや電車を乗り継いで片道一時間以上かかるからです。
その時間を勉強や部活や睡眠に使ってほしい。
何より私が、長時間長距離の通勤に苦しんできましたので。
となると、こういった小学校で授業をまともに受けられない子たちと、同じ中学に行くことになります。
中学ではもっといろいろと差が出るでしょう。
体も成長して、異性にも興味を持つでしょうし、いろいろと難しい時期です。
前向きに考えれば、いろいろな人たちとなんとかうまくやっていく経験を積めるということです。
実社会がそうですから。
以上、小学校で5年生になっても落ち着いて授業を受けられない子が何人もいることに驚いた、という話題でした。
※参考情報
『尾木ママの 親だからできる「こころ」の子育て (PHP文庫)』には「学級崩壊は起きて当然だった!?」という章があり、こう言います。
「学級崩壊」は、教師の力量不足を語る以前に、子供の発育や親子関係の変化、そして生活環境や社会の変化を抜きにして語ることはできないのです。
家庭や幼稚園の人間関係の中で、目と目を見つめ合って会話する安心感を知らない子どもに、小学校に入っていきなり『人の話を聞きなさい』と言っても無理なのです。
いろいろと考えさせられる内容です。