子育てにはスキルやテクニックもよりも大切なものがあることを、コヴィー博士が著書の『7つの習慣』に書いた息子さんとのエピソードで教えてくれています。
以下に紹介します。
コヴィー博士は、学校の成績も対人関係も運動もだめな息子の力になろうと、
「積極的な心構えというテクニックを駆使して、息子を励まそう」
とします。
「『頑張れ! お前ならきっとできる! バットをもう少し短く持って、ボールから目を離すな。いいか、ボールが近くにきたらバットを振るんだぞ』息子が少しでも上達すれば、もっと上達するようにと、『いいぞ、その調子で頑張れ』」
と励まし続けます。
親が子どもにかけることばとして、少しも変に感じません。
しかし、
します。
そして、
「心の奥底を正直に探ってみれば、『あの子は他の子たちよりも劣っている。何かが足りない』と思っていたことは明らか」
で、
「息子がそこから感じとるのは『おまえは劣っている。だからお父さんとお母さんが守ってやらなくてはならない』というメッセージだ。これではうまくいくはずがない」
と気づきます。
また、
「自分たちの目に映る息子の姿よりも、世間の目に映る自分たちの姿のほうが気になり、良い親と見られたいと思うあまり、息子を見る目が歪んでいた」
「そもそも息子を他の子と比較するのは私たち夫婦の基本的な価値観とは相容れないはずだった」
と思い知ります。
そこでコヴィー夫妻は、
テクニックを使うのではなく、心の奥底にある動機、息子に対する見方を変える決心
をします。
「息子を変えようとせず、一歩離れて距離をおき、彼に対する私たちの見方から離れて、彼の本質、独自性、一人の人間としての彼本来の価値を感じとろうと努力」
します。
やがて、
「息子の独自性が見え始め」
「彼の内面に幾重にも潜んでいる可能性が見えて」
きて、
「気をもまず、息子が自分で独自性を表現できるように、邪魔にならないようにしていよう」
と決心します。
すると、
「他の子と比較して優劣を判断したりせず、息子と過ごす時間を心から楽しめるようになった」
そうです。
息子は、初めのころ親の庇護がなくなり苛立ちますが、それに必ずしも応えようとせず、
「『お前を守ってやる必要はない。一人でも十分にやっていける』という息子への無言のメッセージ」
を送ります。
すると、
「月日が経つにつれ、息子はひそかに自身を持ち始め、自分を認めるようになった」
「自分のペースで花を咲かせ始めた」
「社会的な基準からしても目を見張るほど成長した」
そうです。
コヴィー博士はこう言います。
息子を肯定し、彼の存在を認め、成長を喜ぶことが、親の自然な役割なのだとわかった。
このエピソードは、私にとって学びの宝庫です。
人間関係はテクニックだけでは通用しない
息子を他の子と比較しない
世間に良い親と見られようとしない
息子本来の価値を感じとろうとする
息子と過ごす時間を心から楽しもうとする
「一人でも十分にやっていける」と信じる
など、どれも実生活にいかしたいものばかりです。
コヴィー博士は、成功の条件に、人間の内面にある人格的なことを挙げる考えを「人格主義」、個性、社会的イメージ、態度・行動、スキル、テクニックなどによって、人間関係を円滑にすることから生まれるという考えを「個性主義」と呼びます。
コヴィー博士自身がこの経験で、「成功に関わる『個性主義』と『人格主義』の決定的な違いを身をもって体験し、深く認識できた」 と語ります。
息子が何か壁にぶつかったり、私が子育てに迷ったりしたら、スキルやテクニックだけに頼らずに、内面にある人格的な部分を見直すことを、忘れずにいます。



