堀江貴文さんの出所後の本と稲盛和夫さんの本には、よく似た仕事論や経営論が出てきます。
例えばこんなフレーズです。
- 「未来のことを考えず、今を懸命に生きることが大事」
- 「どんな難しい注文もできますと受注する」
- 「100メートル走のつもりで全力疾走を続ける」
そんな中で、お二人の決定的な違いが、堀江さんの『本音で生きる 一秒も後悔しない強い生き方 (SB新書)』にありました。
稲森さんがよく言う「人として正しい」でも「動機善なりや」でも「利他」でもありません。
堀江さんの次のことばが二人の違いだと、私は思います。
家族的な経営など、正直、僕には気持ち悪く感じる。
「会社一丸となって同じ意識で仕事に取り組もう」なんて訴えても、複雑な話になるとわからない人はいる。方向が違っても、結果がちゃんと出れば、それでよし、だと思う。(p25-26)
誰かがグダグダ仕事をしていても、結果が出ているなら問題はないし、そんな面倒なところにかかわろうとは思わなかった。(p25)
対して稲盛さんの『京セラフィロソフィ』には、こうあります。
心をベースとして経営する
大家族主義で経営する
ベクトルを合わせる
稲盛さんは京セラ創業当時、28人の全従業員が本当に心を一つにしてくれること以外に頼れるものはないと考えつき、みんなが本当に信じ合える、本当の親子・兄弟のような心で結ばれた集団にしようと、心血を注いで従業員と話をしたそうです。
よって、運動会、社員旅行、慰労会など、すべての催しは全員参加が鉄則です。
そして、いくら頭が良くて優秀な人でも、ベクトルの合わない人には辞めてもらうことにした、とあります。
また、甘えの経営に陥らないために実力主義に徹した、ともあります。
昨今は「忘年会スルー」「忘年会ハラスメント」ということばがありますね。
京セラでは今でも、「コンパ」は全員参加が鉄則のようです。
仕事ができても考え方が違えば辞めてもらう、に感じる印象は、稲盛さんのほうが、はるかに人に厳しいんだろうな、ということです。
堀江流は、結果が出ているなら、方向が違ってもグダグダ仕事をしていてもよし。
稲盛流は、全員の心を一つに。
大家族主義で会社の催しは全員参加が鉄則。
わかってもらえない人は辞めてもらう。
自分が働くなら、どちらの経営者の元がいいか。
稲盛流でもし会社をつくるなら、厳しく徹底できるか。
私個人は、会社の飲み会やイベントは大好きです!
が、社員全員に徹底するとなると、なかなか難しいところですね。