「進化が促す 父親の育児」という記事を、一昨日の日経新聞で読みました。
こちらです。
今この記事が出たのは、在宅勤務と学校の休みが重なり、平日子どもと家で過ごす父親が増えたからでしょうね!
ここで言う「進化が促す」とは、人間の子どもを育てるのは哺乳類の中で例外的に手がかかり、母親だけではとても負いきれず、父親も子育てするように進化したと考えられている、という意味です。
また、「親族やコミュニティで子育てを行うのがヒトの元々の姿であったと考えられているし、少し前の日本の子育てもそういうものだった」という『江戸の乳と子ども』(沢山美果子)の言葉も紹介されています。
日本の育児の変遷と父親の参加の必要性については、松井道夫先生が『定本 育児の百科(上)』(岩波文庫)に詳しく書いていてわかりやすいです。
次の通りです。
- 夫が台所の仕事をしたり、赤ちゃんのおむつをとりかえたりする風習は、日本にはなかった
- 産後の妻がひとりで家事と育児を引き受ける風習も、日本にはなかった
- 以前は家におばあちゃんや手伝う人がいて、女たちだけでできる体制になっていた
- 高度成長以後、多くの家族が核家族になった
- 父親になった人は、この新しい事態に夫として対応しなければならない
- 時代が父親に家事と育児への参加を要求している
- 男はそういうことはしないものだというのは、古い時代の風習にもとづいてできた古い思想に過ぎない
まあこれらのことは、今のパパさんたちはこれまでたくさん聞いてきていることでしょう。
その中で心に響いたのは、次の一節です。
特定の父親像を持ち上げ理想化する言説を積み上げることが、様々な事情でそうなれない男親に父親失格の烙印を押すことに繋がらないか懸念も覚える。それでは母乳神話や3歳児神話が母親たちを縛り付けてきたことの繰り返しになりかねない。
言われればその通りで、納得です。
全ての母親が専業主婦でないのと全く同じように、全ての父親が育休をとるのは難しいかと思います。
また父親が子どもと一緒にいられる時間も、量や時間帯は人それぞれバラバラなはず。
特定、一律の父親像を社会が押し付けてはおかしい。
そんなことを考えながら『定本 育児の百科』を読み直していたら、このことばが目に飛び込んできました。
子どもの側からすれば、あまり自信のある親は、よい親ではない。子どもといっしょに人生を探求し、いっしょにそだってくれる親がいい(上 p39)
第一章の「母親になれるか」の中ですが、父親も全く同じでしょう。
特定の父親像を誰かに理想化されるでもなく、自ら独断で理想化するでもなく、子どもと奥様と一緒に、オリジナルの理想像に向かって育っていきたいものです。
以上、父親の子育ては人それぞれであっていい、という話題でした。