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小説『つみびと』感想:登場する父親たちで本当に罪深いのは誰

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つみびと 山田詠美

日経新聞の夕刊に連載されていた、山田詠美さんの小説『つみびとが本になっています。

この小説は、蓮音という23歳のシングルマザーが、4歳の桃太、3歳の萌音という二人の子どもを死なせてしまう物語です。

モチーフは2010年の夏に大阪で起きた、二児置き去り死事件(Wikipediaでは大阪2児餓死事件)。

新聞連載時には内容がつらすぎて毎日読む気にはなれず、たまにチラ見をして、続けて読んだのは最後の二週間くらいです。

本が出るのを知り、子を育てる親として読んでおこうと思い、全編読了しました。

やはりつらかった!

読んだ後に感じたのは、この本は「妻や子どもをしあわせにできない父親たち物語」として読めるということです。

私が自身が子育て中の父親だからかもしれません。

そこで、小説『つみびと』の感想として、登場する父親たちを子どもを死なせたことに対する罪が重い順に考察し、書き留めておきます。

※以下は小説のネタバレを含みます。

目次
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罪の重さ1位:松山音吉(蓮音の元夫/桃太と萌音の父)

罪は、父としての自覚の不足です。

蓮音いわく、音吉は「本当にいい人」、「ただ親切な人」です(p37)。

妊娠した蓮音と結婚するため、家族を説得し大学を中退して働きます。「心優しい鈍感さを携え」た「平和なお馬鹿さん」で、蓮音の「嫌な部分を見ることもなく、愛し」ます(p225)。

父母から大切に育てられた育ちのよさも伝わってきます。

私も、音吉はいい人だと思います。

善良な鈍感さは、大きな長所です。

ただ、結婚後も、蓮音のいないところでは母親を「ママ」と呼びます(p225)。

不機嫌になると、「うちに泊まるから」と言い残して部屋を出て行きます(p236)。

妻子と住む家ではなく、実家が「うち」なのです。

しょっちゅう実家に戻り、その内に入り浸るようになり(p261)、ほどんど帰って来なくなります(p185)。

この音吉の不在が、蓮音が夜の町に出歩く原因になってしまいます。

音吉自身も、「実家に行き過ぎだ」とわかっています(p272)。

しかし、「無条件で自分を受け入れてくれる母」(p273)から、巣立てないようです。

本来ならここは、この小説ではほとんど登場しない音吉の父親の出番だったように思います。

自分の妻子をほっといて何やってんだ!、と一喝してほしい。

音吉の父として、父親の一番の役割は母親のサポートなんだ、と教えてほしい。

結果的に蓮音とのすれ違いは埋まらず、離婚します。

その結果として、子どもを見捨てます

本人は見捨てたつもりはないかもしれません。

離婚後の蓮音を探してもいます(p314)。

しかし、母が桃太と萌音を引き取れないということには、あらがえません(p309)。

そして子どもたちの最後のとき、血を分けた自分の子が苦しんでいることに、父として何か気づけなかったか

虫の知らせのようなものが、なかったか。

私の考えでは、

死なせてしまった子の直接の父であることの責任が一番重い

です。

音吉はいい人ですが、蓮音のような女性をしあわせにするには、人生経験が少なく親としての勉強も不足で、幼すぎたようです。

想像するに、父母から大切に育てられたいい子がいい子のまま親になってしまって、いい子から「いい大人」へ、そして「いい親」へ、もう一歩の成長ができなかったのかなと思います。

この点は、男の子を育てる親としてこれから特に注意していきたいところです。

わが家の息子も、いまは母をママと呼ぶ甘えん坊です。

音吉の母のように、うちの奥様も大の世話焼きです。

どこかで、親離れと子離れをして、まず「いい大人」になければなりません。

もし、息子が結婚しても実家に入り浸るようだったら、追い返さなければいけませんね。

罪の重さ2位:笹谷隆史(蓮音の父/琴音の元夫)

罪は、子ども(蓮音)の人格否定です。

隆史は、出ていった妻の琴音に似ているということで、こう言って蓮音の人格をあらゆる方向から否定します(p106)。

「どうして、こんなにも、あの女に似ているんだ」
「まーったく、やることなすこと、あいつにそっくりだな」
「結局、おまえは、母親とおんなじなんだよ」

同時に、母親の琴音の人格も否定しています。

また、出ていった琴音の代わりに弟と妹の世話をする蓮音を、がんばれ、がんばれ、がんばれ!と励ますだけで(p154)、がんばってるね、とは認めません。

自分だけが苦労していると思っています(p154)。

自分の人格を否定され母親の人格も否定され、蓮音は、「そういう星の許にうまれちゃったんだなあ、私って奴は」(p30)と、自己肯定感を持てません。

音吉との結婚披露パーティで幸福を感じても、「おまえは、そこにいて良い人間なのか」 (p192)という囁きが聞こえ、素直に受け入れられません。

大人になってからも、隆史はこう言って、蓮音の人格を否定します。

「お前なんかに親の資格はない」(p24)
「行くとこ行くとこで皆を不幸に陥れる」(p30)
「もういい、お前は帰ってくんな」(p64)
「どうして、普通の人間みたいになれない?」(p64)

また蓮音は、「父の隆史に対して子供の頃から親しみを持つことが出来なかった」 (p193)、「甘える気になどなったくなれない彼は、家を守る門番のようなものだった」 (p193)、と振り返ります。

また、「そもそも実の母親の琴音にすら甘えられなかった」 (p226)と言っています。

人格を否定され、甘えることを知らずに育った結果、蓮音は素直に人の好意を受け止めることが出来ません(p226)。

私が何をどう訴えたって駄目なんだ(p115)と思い、なりふりかまわず助けて!と叫ぶことが出来ない(p310)ように、蓮音はなってしまったんだと思います。

子どもの「自己肯定感」を育てることの大切さは、これまでこのブログで紹介した本、高橋孝雄先生の『小児科医のぼくが伝えたい 最高の子育て』にも、明橋大二先生の『子育てハッピーアドバイス』にも、尾木直樹さんの『親だからできる「こころ」の子育て』にも、共通して強調されています。

明橋大二先生の言うこのことが、隆史にはできませんでした。

しつけも勉強も大事ですが、自分を肯定できる、生きていていいんだ、大切な人間なんだ、存在価値のある人間なんだ、という気持ちを、子どもの心に育てていくことが、いちばん大事なのです。

子育てハッピーアドバイス 』p23

甘えが満たされるとき、自分は愛されていると感じ、また、自分は、愛される価値のある存在なんだ、と感じます。

子育てハッピーアドバイス 』p74

蓮音の心に、少しでも自分は大切な人間なんだ愛される価値のある存在なんだ、という気持ちがあれば、子どもを死なせることはなかったと思います。

この隆史の罪が、悲惨な結果をもたらしてしまったと考えます。

一方で隆史は、地域では、中学高校と野球部で全国大会で活躍し、建設会社で働きながら少年野球のチームのコーチを務め、誰からも尊敬されています(p76)。

「笹谷コーチに子供を預けておけば間違いない」 (p76)とまで言われています。

蓮音の周辺の男たちも、「おれも野球教わったけど笹谷コーチほど素っ晴らしい人、いねぇべ」 (p150)と言っています。

野球チームの親からも、子どもからも、ここまで尊敬されているということは、野球では、選手を認め自信を持たせることができているはずです。

地域の野球ではできることが、なぜ、蓮音に対してはできないのか。

想像するに、理由が二つあります。

一つは、 妻や子どもに厳しすぎることです。

尾木直樹さんの本にこんな指摘があります。

熱心な親、まじめで責任感の強い親は、子どもに厳しくなり、寛容になることが難しい

親だからできる「こころ」の子育て(PHP文庫) 』p161

隆史は「行儀や規則にうるさく、母にも子供たちにも厳しかった」(p72)、また、まだ幼い桃太や萌音にも、「行儀にとてもうるさかった 」(p23)とあります。

この妻や子どもに厳しすぎることが、隆史の短所の一つです。

もう一つは、隆史は、自分だけが正しいと思い、自分の都合のいいようにしか、物事を考えない男だということです。

「自分の仕事の方がはるかに重要だと思って」 (p78)いて、「食べさせてやっている、というだけで自分を偉いと信じ込んで」 (p155)いるので、家庭では、「女たちに感謝のことばを述べない」 (p156)、「愛や労りの言葉など無駄口」 (p156)だと思っている男です。

よって妻の琴音からは、「自分の面子しか考えてない」(p66)と、また後の恋人たちからは、「自分以外のみんなを馬鹿にしてる。自分だけが正しいと思いこんでる」(p155)、「冷たい人!」(p155)、「私って、あなたの何なの?」(p156)と言われています。

事件後も琴音に蓮音のことを、「あいつは、おまえの子だ。おまえが産んで、おまえのように育って、おまえのような駄目女として人生終わった」(p125)と言い、責任を感じているようには見えません。

半分は自分の血なのに。

この、自分だけが正しいと思いこんでいるところが、隆史の二つ目の短所だと考えます。

この二つの短所が、妻の琴音を救えず、娘の蓮音も救えなかった要因でしょう。

隆史は精神に変調をきたした琴音に、「あたまのおかしいおまえの相手するの、ボランティアより大変だな」(p289)という言葉を投げつけます。

少年野球のボランティアより、仕事より、妻を救うことの方が「大切」であることが、わかりません。

隆史は、父親としてこうはなりたくない、という反面教師です。

どんなに仕事や地域で成功し、尊敬されようと、妻や子どもを不幸にしては、その人生に意味はありません。

私自身、職場では同僚や部下の女性をねぎらえても(だぶんできている?)、奥様を心から、ただねぎらうのは、本当に難しい。

つい、主婦なんだからやって当然、と思ってしまうところがあります。

また、他人の子には寛容になれることも、自分の子には必要以上に厳しくしてしまうところがあります。

気をつけなければいけません。

罪の重さ3位:吉田伸夫(琴音の継父)

罪は、性的虐待と、不倫です。

伸夫は、妻と別居中で正式に離婚していないにも関わらず(p134)、琴音一家と住み始めます。

そして、中学生に入ったときから高校に入るまでの琴音に、性的虐待をします(p243)。

結果、琴音の心が壊れます。

挙げ句の果てに、長い間のらりくらりと都合よく二つの家を行き来して、琴音の母を捨てます(p242)。

登場する父親たちの中で、桃太と萌音を死なせたことの「罪の重さ」としては3位にあげましたが、人しての「罪の深さ」は、ダントツの1位です。

この男さえまともだったら、琴音も、蓮音も、桃太も、萌音も、不幸になることはなかったのに、とさえ思ってしまいます。

罪の重さ4位:下田正(琴音の実父)

罪は、DVです。

正は、琴音の母、兄、琴音に、些細なことで日常的に暴力を振るいます(p14)。

「母の顔は取り繕いのようのないほど腫れ上がっていた。数日間は近所の人に出くわさないよう、ひっそりと暮らすことになるのだ」(p58)とあります。相当な暴力だったのでしょう。

小説では、「弱いものにだけいばる男」(p46)、「弱い犬ほどよく吠える」(p55)と描写されています。

小学生の琴音の目の前で、正は急性心筋梗塞で急死します。

この場面で琴音は、「あんなにひどい目に遭って来たのに、お母ちゃんはお父ちゃんが好きだったんだ」 (p97)と思い至ります。

正は、体のあちこちに持病を抱えていた(p99)そうです。

葬式で琴音の母は、「苛々してどうしようもなかったんだわ」 (p99)と泣きます。

DVの夫とその妻と子の事件は、最近も千葉県野田市でありました。

週刊文春の報道では、この妻も暴力を受けても夫が好きだったとのこと。

琴音の母も、老いて死ぬ間際に、正が好きだったと振り返っています(p278)。

DVの夫が好きだという心理は、私にはどうしても、わかりません。

正がまともな男だったら、結果としては、後に琴音の母が伸夫のような男に惹かれることもなかったのかな、と思います。

まとめ:罪の重さと深さ

山田詠美さんの小説『つみびと』に登場する父親たちの罪を、私はこう考えます。

子どもを死なせた罪の重さ

1位 松山音吉(蓮音の元夫)罪:父親としての自覚の不足
2位 笹谷隆史(蓮音の父) 罪:子どもの人格否定
3位 吉田伸夫(琴音の継父)罪:性的虐待、不倫
4位 下田正 (琴音の実父)罪:DV

そして本の帯のキャッチコピーは、「本当に罪深いのは誰」です。

人としての罪の深さは、こう考えます。

人としての罪の深さ

1位 吉田伸夫 (琴音の継父)
2位 下田正  (琴音の実父)
3位 笹谷隆史 (蓮音の父)
4位 松山音吉 (蓮音の元夫)

『つみびと』は、育児放棄、子どもへの過干渉といった母親たちの罪が描かれているだけでなく、父親たちの様々な罪について考えさせられる小説でした。

特に音吉や隆史は、私の反面教師です。

私自身や将来父になる予定の息子が、同じ轍を踏まないように、心にとめておきたい一冊です。

小説には、育児書やノンフィクションからは得られない、おもしろさや学びがあることが、よくわかりました。

以上、山田詠美さんの小説『つみびと』の感想でした。

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