山田詠美さんの小説『つみびと』を読んで、どうしてもわからなかったことは、なぜ犠牲になったまだ4歳の桃太まで「つみびと」にしたのだろう、ということです。
こんな描写があります。
置き去りにされた桃太は死の間際、
「ぼくのした悪いことは、全部謝るよ。ごめんなさい、ママ、ごめんなさい」
と呟き続ける。
ある夏の日に、大人になったらブローチを買ってあげると母の蓮音にしつこく言って、
「モモにそんなこと言われると、悲しくなんだろうが!? あーっ、頭来る!!」
と悲しくさせたことを思い出し、ばちが当たってしまったと悔やむ。
ある日公園で、母を驚かせてやりたいと閃いて、犬の鳴き声を真似ながら水道の蛇口に口をつけて水を飲み、
「ママ、ぼく、ママのワンちゃんになったよ!」
と言ってしまい、
「モモはママの子だよ。犬コロなんかと違う!」
と泣かせてしまったばちも、当たってしまったんだと思う。
こういう内面の心理までは、モチーフとなった大阪二児置き去り死事件ではわからないはずです。
事件についてのノンフィクション『ルポ 虐待: 大阪二児置き去り死事件』(杉山春 ちくま新書)にも、こんな内容は出てきません。
それなのにどうして、山田詠美さんは桃太まで「つみびと」にしたのか、疑問でした。
この疑問の答えが、昨日の日経新聞の夕刊ありました。
東京都目黒区のアパートで2018年3月、当時5歳だった船戸結愛ちゃんが虐待を受けて死亡した事件の記事です。
結愛ちゃんはノートなどに、「ゆるしてください おねがいします」書いていました。
警察が公開した全文が、産経新聞のサイトにあります。
「パパ、ママ、もうおねがい ゆるして ゆるしてください」 東京・目黒の虐待死女児、生前に悲痛な手紙 – 産経ニュース
ママ もうパパとママにいわれなくても
しっかりじぶんから きょうよりか
あしたはもっともっと できるようにするから
もうおねがい ゆるして ゆるしてください
おねがいしますほんとうにもう おなじことはしません ゆるして
きのうまでぜんぜんできてなかったこと
これまでまいにちやってきたことを なおしますこれまでどんだけあほみたいにあそんだか
あそぶってあほみたいだからやめるもうぜったいぜったい やらないからね
ぜったい やくそくします
読むのがつらい手紙です。
小説『つみびと』の桃太の呟き、
「ぼくのした悪いことは、全部謝るよ。ごめんなさい、ママ、ごめんなさい」
と全く同じに読めます。
結愛ちゃんは、まだ5歳で、自分を「つみびと」にして亡くなっていました。
虐待された子どもは、現実に、自分を「つみびと」にするようです。
小説『つみびと』の帯にあるように、「フィクションでしか書けない〈現実〉がある」ということが、よくわかりました。
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