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イチローはアメリカで「英語なんて勉強している場合じゃない、国語を学ばなきゃいけない」と感じた。母語は精神そのもの。

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Number(ナンバー)976号「完全保存版 イチロー戦記。」のイチローさんのインタビュー記事から、以下紹介します。

 

ーアメリカで野球をやっている間、イチローさんは日本との距離をどう感じていたんですか。

「日本との距離感は、アメリカに行って急速に縮まりました。WBCの経験から日の丸の重さと向き合った経験も大きかったし、自分なりに言葉を大事にしようと思ったのもアメリカへ行ってからのことです。アメリカへ行ってみて感じたのは、英語なんて勉強している場合じゃないということでした」

ーえっ、逆じゃないんですか。

「学ばなきゃいけないのは日本語のほうです。もっと言えば国語か。2000年までの日本でプレーしていた時の僕には、言葉について深く考えることはありませんでした。ずいぶん不用意にものを言っていましたし……それがアメリカへ行って何年かたったころ、自分なりに言葉を大切にしなくてはと思ったんです。自分が発した言葉を振り返って、こういう表現をしたほうがよかったなとか、そういうことを考えるようになったのもアメリカへ行ってからです」 

 

イチローさんはアメリカで戦ううちに、「自分なりに言葉を大事にしようと、英語ではなく国語を学ばなきゃいけない」と思った、というのです。普通は逆だと感じます。

 

どういうことか、考えました。まずは、井上ひさしさんの『日本語教室』(新潮選書)から。

 

言葉は道具ではないのです。第二言語、第三言語は道具ですが、母語=第一言語は道具ではありません。アメリカでは、二十世紀の前半に「言語は道具である」という考えが流行しました。アメリカの合理主義と相まって、一時期、世界を席巻しますけれども、やがてだんだんと、そうではない、母語は道具ではない、精神そのものであるということがわかってきます。 母語を土台に、第二言語、第三言語を習得していくのです。ですから結局は、その母語以内でしか別の言葉は習得できません。(p19)

 

次は、鈴木喬雄さんの『診断・国語辞典』の一節から。

 

ことばの問題は思考の問題である。

ことばは単に言語次元だけのものではない。同時に、生活次元のものであり、思考次元のものであり、そして思想次元のものである。

ボキャブラリーの貧困は思想の貧困である。この意味で、すぐれた文章家はすぐれた思想家である。 (p44)


なるほど。二人によると、「母語は精神そのもの」で、「ボキャブラリーの貧困は思想の貧困」です。

イチローさんは、アメリカで戦うため、様々な恐怖に立ち向かうため、精神のよりどころである母語の日本語をさらに学ぶことが必要だった、ということだと思います。

 

母語は精神そのもの」と「ボキャブラリーの貧困は思想の貧困」という二つのことばを、大切に覚えておきたいと思います。

 

昨日は新井紀子先生の言う「精読」「深読」の大切さついて書きました。イチローのこの記事もまた、国語の力をつけることの重要さがよくわかるエピソードだと感じます。

 

関連記事>>>「平常心でいられない自分を受け入れて、そこに立ち続ける」というイチローの才能。「自己実現的人間」の特性で「あるがまま」の境地。

 

紹介図書>>>

Number(ナンバー)976号[雑誌]

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日本語教室 (新潮新書)

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診断・国語辞典

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