「繋驢桔(けろけつ)」という禅のことばを、北西憲二先生の森田療法の本で知りました。
悩みから自由になりたいともがく人のたとえです。
次のように書かれています。
杭につながれた驢馬が、逃げようとして焦って、グルグル回るほど、ますます杭にくっついて、動けなくなるというたとえです。
人は悩みがこうじると、この驢馬のようになります。悩みや不安・恐怖から逃れようとするほど、悩まないようにしようとするほど、自分を縛っている紐にますますグルグルに縛られてしまうのです。
―『はじめての森田療法』(p114-115)
そして、こう考えることをすすめます。
杭につながれていても、むりにふりほどこうとしなければ、ロバは草でも食みながらゆったり過ごせます。悩みもまた同じです。不安や恐怖という縄に縛られているようでも、そのまま我慢していれば、けっこう、いろいろなことができるものです。
―『森田療法のすべてがわかる本』(p36)
国語辞典でも、繋驢桔を引いてみましょう。
(驢馬をつなぐ杭の意)言句こだわり、それに束縛されることをたとえて言う語。禅家で叱責するときに用いる。
『広辞苑 第七版』
驢馬(ろば)をつないでおく杙(くい)のこと。禅宗で、精神の自在を奪って、向上を妨げるもの、無意味なもの、無価値なもののたとえとして使われる。
『大辞林 第四版』
なるほど。
また『はじめての森田療法』には、森田正馬先生のこんな言葉の紹介があります。
私は少年時代から四十歳頃までは、死を恐れないように思う工夫を随分やってきたけれども、「死は恐れざるを得ず」という事を明らかに知って後は、そのような無駄な骨折りをやめてしまったのであります。(p131)
人は究極には、「死は恐れざるを得ず」なのですね。
不安や、悩みも、なくすことはできないのでしょう。
この意味で、杭につながれたロバのようなもの。
こう考えて、なにか一つ、腑に落ちたような気がします。
以上、森田療法の本から禅語『繋驢桔』の紹介でした。