2010年9月の読書日記の中から一冊、『老師と少年』を紹介します。
120ページの薄い文庫本ですが深い内容の、老師と少年の問答集です。
少年が老子に問います。
「ぼくは誰ですか」
「本当の自分が知りたいのです。今のぼくはぼくではない!人々の中で、人々の前で、求められるように振る舞い、そうあるべきように振る舞うぼくは、ぼくではない!それは仮の、嘘のぼくなんだ!!」
老子が答えます。
「人は思う。かわらぬ『私』を支える何か確かなものがあるはずだ、と。だが、それは、どのようにしても見つけられない。なぜなら、『私』という言葉は、確かな内容を持つ言葉ではなく、ただある位置、ある場所を指すにすぎない」
「『あなた』や『彼』ではないところ、『いま、ここ』だ。『私』はそこについた印なのだ」
「『本当』と名のつくものは、どれも決して見つからない。それは『今ここにあること』のいらだちに過ぎない。苦しみに過ぎない」
「『本当』を問うな、今ここにあるものが、どのようにあるのか、どのようにあるべきなのかを問え」
この中にある、「『私』は、『いま、ここ』についた印にすぎない」という内容が、衝撃的でした。
今もこの一文のことを、考え続けています。
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