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徒然草の「偽りても、賢を学ばんを、賢と言うべし」にブログが理想論ばかりかもという不安が救われた

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徒然草 ちくま学芸文庫

ブログには、明るく、前向きで、元気が出るようなことを書きたいと思っています。

一方で、理想論やきれいごとばかりになっているような不安を感じることもあります。

ふと、書店で手にとった『徒然草』に、しみじみとくる教えがありました。

偽りても、賢を学ばんを、賢と言うべし。

(現代語訳)
たとえ偽りであっても、賢人を真似てそれに近づこうとする人を、賢人と言うべきである。 

このことばの前には、こうあります。

至りて愚かなる人は、偶々(たまたま)、賢なる人を見て、これを憎む。「大きなる利を得んが為に、少しきの利を受けず、偽り飾りて、名を立てんとす」と譏(そし)る。

(現代語訳)
最も愚かな人は、たまたま賢者を見ると、その人を憎む。「あの人は賢者ぶっているが、大きな利益を得るために、少しの利益を受けずに、偽り飾って、名声を上げようとしているのだ」と悪口を言う。 

以上、第八十五段です。

人としてこうありたい、親としてこういたいなど、いろいろや学びや経験をブログに書くとき、

私って本当にそんな人?

と思うことがあります。 

また、誰かがどこかに〇〇円寄付をした、というニュースを聞くと、

この人ほんとにそんないい人なの?

と思うこともあります。

たとえ偽りの人気とりであったとしても、寄付がないよりあるほうが、事実、助かる人がいます。 

同じように、たとえいまブログに書く理想に届かないところがあるとしても、書いて近づこうとすることに価値を置きたいな、と学びました。

以上、徒然草から「偽りても、賢を学ばんを、賢というべし」の紹介でした。

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