市川海老蔵さんが最近一切、酒を飲んでいないそうです。
一昔前に泥酔事件を起こした海老蔵さんが「酒は無駄」とは、驚きです。
酒については、私もいろいろと思うことがあります。
40歳過ぎまでは、酒なしの人生など全く考えられず、酒を飲まずに何を楽しみにして生きるの?という感じでした。
それが今は、家での晩酌を一切やめ、何か家族や仕事のイベントの時に少しだけ飲む程度です。
昔とは逆に、飲まないほうが普通です。
海老蔵さんの情報に触れたこの機会に、私のこれまでの飲酒人生を振り返っておこうと思います。
育った環境
父も母も酒好きです。
父は毎日の晩酌を欠かさず、夕食時に日本酒をとっくりに注ぎ、電子レンジで熱燗にチンするのは、小学校高学年から私の役目でした。
両親とも陽気な酒です。
特に酒乱ではなかったように思います。
また母方の実家の親族が特に、みな酒好きでした。
盆休みで親族が集まったときは、昼間から高校野球を見ながら父やおじさんみんなでビールを飲んでいました。
酒はいつも身近にあり、私も大人になったら普通に酒を飲むもの、と思って育ちます。
飲み始め
高校生の時だと思います。
何か親族の集まりがあると、「お前も飲め!」と言われていつもビールを飲んでいました。
未成年のいとこたちも、みな飲んでいました。
ビールの味は、最初は苦いっ!と思った記憶があります。
そのうちに慣れて、おいしく感じてきました。
夏休みに友人何人かとキャンプに行ったときも、ビールを飲んだ思い出があります。
私が高校生だった1990年前後は、世間も飲酒について今よりずっと大らかでした。
大学時代
1990年代の前半です。
本格的に飲み始めます。
ビール、日本酒、ウイスキー、焼酎など、種類は何でもOK。
居酒屋でイッキ飲みがまだ許されていました。
イッキでビールをジョッキ一杯二杯は当たり前。
酒に強いやつほどかっこいいと思っていました。
理想は野球漫画の「あぶさん」です。
私自身の飲酒のタイプは、飲むと陽気でハイになります。
記憶をなくすまで飲むことも何回かありました。
記憶をなくしても不思議と、何かなくしたりせず必ず家に帰って寝ていました。
社会人になって
サラリーマンは会社帰りに飲むのが当たり前だと思っていて、週に半分以上は仕事帰りに誰かと飲んでいました。
サザエさんの波平とマスオの世界です。
接待でもよく飲みました。
北新地のクラブがなつかしいです。
休日には、昼間から一人で飲んでいることもありました。
異変
20代の半ばから、酔って記憶をなくし、はるか遠くまで電車を乗り過ごしたり、駅のベンチで寝てしまったりするようになります。
財布やカバンをなくすことも、何回もありました。
二日酔いで起きられず、仕事を休んでしまったこともあります。
時にはさすがに反省し、次は酒をコントロールしようと固く決心します。
でも、治りません。
結婚したり、子どもができたり、30代40代になってからも、月一回ははるか遠くまで乗り過ごしたり、駅で寝ていたり、何かをなくすことがあったと思います。
健康診断では、何かひっかかったことはありません。
飲酒のコントロール
30代の前半に、深酒後に左の手のひらの小指側半分に弱いしびれの感覚が出て、一週間ほど残ったことがありました。
さすがに飲酒をコントロールせねばと、アレン・カーの『禁酒セラピー 』を読みます。
中には、酒は決してコントロールできない毒物であり、「節酒」はなく「禁酒」しかないと書いてあります。
なんとインチキなトンデモ本かと思いました。
酒は人間関係を円滑にし、適量なら健康によいと思っていたからです。
そこでもう一冊、なだいなだ先生の『アルコール問答』を読みます。
この本を読んで、もしかしたら私はアルコール依存症かも、と思いはじめます。
そして2013年の12月に、朝気がつくと新宿警察署で保護されていて、しかも左の眉毛の上を何針か縫っていた、ということがありました。
新宿で飲んだ後に駅でケガをして救急車で運ばれ、治療後に病院が警察に保護を頼んだとのこと。
全く記憶がありません。
それでも、酒を飲むという生活を変えることはありませんでした。
家での晩酌をやめる
2015年1月、息子の誕生日の数日前に、新宿で乗った帰りの電車を高崎まで乗り過ごしました。
息子が4月から小学生になるのに親が何をやっているのかと、さすがにこたえました。
そこで初めて、平日の家での晩酌をやめてみることにします。
酒は仕事や友人とのコミュニケーションで必要だとしても、平日に家で飲む必要はないはず、という理屈です。
休前日と休日は晩酌ありです。
まだ、酒なしの人生は考えられないと思っています。
記録として、飲まなかった日は手帳に◯印をつけました。
また、断酒に関するブログがたくさんあることに驚き、いくつかの断酒ブログを定期的に読みました。
晩酌をやめてみて
家での晩酌をやめてみると、夕食後に酒に酔っていないので、寝るまでの時間に本を読めるようになりました。
そして何日か飲まないでいると、朝の目覚めにこれでにない気持ちよさがあることに気づきます。
そこで試しに、休前日や休日も家での晩酌をやめてみました。
すると、飲まなくても全然平気です。
酒なしの人生は考えられないと思っていたのに、全く違う自分がいます。
驚きでした。
会社でも、これまでは自分から積極的に飲みに誘っていましたが、誘われたときにだけ飲みに行くようになりました。
その場ではビールを1、2杯だけ飲んで、ウーロン茶に切り替えます。
それでも特に、職場のコミュニケーションに変化は感じませんでした。
現在
こんな経緯で今は酒を飲まなくても、全く平気に生きていられます。
むしろ必要がなければ、酒は飲みたくないです。
飲んだ後に本を読んだり、何か勉強したりできないからです。
どうしてあれほど人生に酒が必要だと思っていたのか、今思うと不思議です。
供給者の論理?
別の記事で、供給者の倫理に落ち込むことの注意を書いています。
酒も、供給者の論理を特に注意するべきものです。
夜テレビをつければ、CMは酒のものが一番多いように感じます。
あたかも酒を飲むと、スッキリしあわせになれるような世界が描かれています。
少なくとも私には、酒は毒物です。
また『禁酒セラピー』では、ワインは時間とともに熟成すると言う一方でボジョレー・ヌーボーを売るのは、ワイン業界が消費者を馬鹿にしている、とあります。
その通りです。
飲み会で飲まないテクニック
元浦和レッズの福田正博さんは、酒を飲まないようで、テレビ番組の酒の席で注文を尋ねられ、「烏龍茶ロック!濃いめの氷少なめで!」と言っていました。
素晴らしいトークです!
福田さんのように、飲まなくても酒の席を楽しめたらいいですね。
私もある時居酒屋でこの注文をしてみましたが、バイトの女の子に全く通じず、困らせてしまいました…。
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こんなところです。
『禁酒セラピー』によると、酒は「本当は『破壊』という名の毒」 です。
昔、インチキなトンデモ本だと思っていたこの本が、今は正論なんだと感じます。
酒は、身体的・生理的には、誰にとっても毒物だと思います。
精神的に毒物かどうかは、人それぞれかもしれませんが、私は酒がないほうが心身ともに健康です。