昨日の高校野球岩手県大会決勝で、大船渡高校の佐々木朗希投手が登板せず敗退したことで、監督の判断に賛否両論あるようです。
記事の中にある賛成の意見の引用です。
国保監督の決断を支持する意見は、「3年間生徒を見続けてきた監督が、選手の身体のことを考えて下した決断は一番尊重されるべき」「負ければ叩かれるのに大人の決断をしたのは素晴らしい」など佐々木の将来を考えた選択を評価するものだった。
こちらは反対の意見。
一方、反対意見は、「選手の将来とチームの勝利を天秤にかけた」「私物化とも言われかねない最悪の采配」「佐々木の未来を守るために他の球児の未来を犠牲にしてしまった」などという厳しいもの。勝利至上主義、甲子園絶対主義への批判の声はあるが、選手の目標はやはり甲子園にある。故障でもない限り、選手の気持ちを最優先すべきではないか、という考え方だ。
なるほど。いろいろあります。
私は父親としては、こういう考えを持つ監督や学校のもとに息子を進学させたいと考えます。以下はその理由です。
監督が勝利至上主義でないことは確か
上の意見の中に、「勝利至上主義」ということばがあります。議論すべき点はいろいろあると思いますが、監督が勝利至上主義ではない、ということは確かだと思います。
監督の立場として、決勝での勝利を第一に考えれば、チームで実力が一番上の佐々木投手を登板させたはずです。報道では、本人は投げたい気持ちもあったようですが、それでも投げさせなかった、ということですので。
勝利至上主義の問題点
勝利至上主義については、別の記事でも考えました。
ここにあるプロ野球の筒香嘉智選手のコメントを、再度紹介します。
もちろん僕も「勝つこと」「勝ちを目指すこと」がダメだと言っているわけではありません。スポーツである以上、勝つのが目的ですし、プロなら当たり前のことです。
しかし、成長過程の子供たちに、「勝つこと」はそれほど重要でしょうか。いや、むしろ弊害になる場合さえある、と僕は思います。勝つことが絶対的な目標とされる「勝利至上主義」は、いま様々なスポーツの現場で問題視されています。
勝利至上主義の弊害の一つは、野球が子供たちのためではなく、指導者の実績や功績、関係者や親など大人たちの満足のためのものになってしまいがちな点です。
少年野球や高校野球、大学野球を含めた子供たちの野球は、3年から4年のスパンで選手がどんどん入れ替わります。そのためチームの実績は実際にプレーをした選手たちではなく、チームと指導者の功績として評価されることになるわけです。
私はこれらの考えに触れて、少なくとも学生のスポーツすべてで、勝利至上主義は必要ないと思っています。
親の世代の価値観
これらようなスポーツ選手や指導者の意見を、最近の子育ての考え方として、ネット、雑誌、書籍でよく目にします。こういう情報に日々触れていると、必然的に、私のように勝利至上主義でない判断に賛同する親が多くなるのではないかと思います。
また、社会全体を見たときに、単に競争で勝つことより、自分で考えた自分なりの価値感で行動できることの方が、必要とされているように感じます。自分自身のこれからの生き方を考えても、競争で勝利することが楽しいとか第一であるとは、思いません。息子にも、この価値観を伝えたいと思っています。
学校運営の収益という観点から
佐々木朗希投手はプロではありません。学校で学ぶ学生です。そして、学校を運営する収益を決めるのは、入学者の数です。県立高校でも、入学者が少なければ、いずれ廃校です。
学校選びに、甲子園への出場という実績を重視する子どもや親もいるでしょう。
一方で、私のように、国保監督のような考えの指導者や学校のもとに子どもを行かせたい親もいるはずです。その点で、国保監督の判断は支持できる、と考えます。
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