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何が「教育虐待」になるかを職場のパワハラで考える

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中学受験の本番まであと約2ヶ月ということで、今朝の日経に「教育虐待」の記事がありました。

この記事の中で、私が特に考えるところはここです。

教育虐待をする親の多くは、「子どもの幸せのために行動を管理する必要がある」と考え、虐待の自覚はない。一方、子どもは「親の言うとおりにできない自分が悪い」と自らを責めてしまう。

教育虐待は親に自覚がなく、子ども自身にもわからない。

私にも、どこまでが親の家庭教育やサポートで、どこからが虐待なのか、わからなくなることがあります。

過去を振り返って、あれはやりすぎだったなと反省したり…。

そんな時ふと、私自身がされたら嫌な職場のパワハラで考えたらどうだろう、と思うようになりました。

例えば上の日経の記事のことばをこう変えてみます。

パワハラをする上司の多くは、「部下の幸せのために行動を管理する必要がある」と考え、パワハラの自覚はない。一方、部下は「会社や上司の言うとおりにできない自分が悪い」と自らを責めてしまう。

そのまま、職場でありがちな問題になります。

また、記事の中にある次の部分も、そのまま変えられるのではないでしょうか。

「心が弱い」などと子どもの人格を否定する言葉は慎むべきだ。

「心が弱い」などと部下の人格を否定する言葉は慎むべきだ。

パワハラについては、厚生労働省が委託事業でこんなサイトを作っています。

ハラスメントの例が、イラストでわかりやすいです。

下はこのサイトにある「精神的な攻撃」のイラスト。

子どもに何か言いたくなったら、このイラストみたいになっていないか、考えてみることにします。

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